片品村史に記載されているむかしばなしです。
鳩待峠
戸倉から山の鼻小屋へゆくとちゅうに、鳩待峠という峠(とうげ)があり
ます。
むかし、八幡(はちまん)太郎義家が、この峠をこえる時、鳩をはなっ
て、吉凶(きっきょう)を、うらなったところだと、ったえています。
しかしこんな話もあります。
村の人は冬になると、木出しや炭やきで、遠いおき山へ入って仕事をしま
すね、そういうとき、家からかよってはたいへんですから、山に小屋をつく
って、そこにねとまりしています。
さて春になりました。
ポー、ポー、と山鳩があちこちでなきはじみました。
村の人は仕事をしながら、それを聞いて、
「ああ鳩がなき出した。さだめし里でもまっているべえ」
といって、仕事をきりあげることにするのでした。
里では雪もきえ、もうそろそろ田んぼや畑の仕事がはじまりますから、女
しゅたちは、男のかえるのをまっているのです。
正直馬子さん
今はみんなバスに乗って、かんたんに沼田へゆきますね。ところがむかし
は、トンネルもまだ出来ず、山また山のけわしい道ですから、沼田の町へゆ
くのもたいへんでした。
それにかわって会津(あいず、今の福島県若松地方)から、米や酒が片品
に入って来ました。会津もずいぶん遠いところですが、米がたくさんとれ、
上等の酒も出来るので、わざわざ山や峠(とうげ)を越えて送って来たもの
です。
春になって、いよく山の雪がとげ、道が通れるようになりますと、檜枝
岐(ひのえまた)村の人たちは、会津の米のたわらや酒のたるを馬の背につ
けて、沼山峠を越え、尾瀬沼のほとりに出て、三平峠の登り口まで来ます。
そこに大きなイチイの木があって、枝がからかさのようにひろがっていまし
た。
そのイチイの木のところで馬をとめ、米だわらや酒だるをおろして、つみ
上げ、渋紙(しぶかみ)などで、わざっと雨にもぬれないようにして、
「それ、青(馬の名)ゆくだ」
と、また馬をひいて、かえってゆきました。
一方(いっぽう)こちらの土出、越本、戸倉の人たちも、馬をつれて、そ
の荷を受取りにゆきました。馬のようやく通れるような、げわしい三平峠を
越えて、沼のほとりのイチイの木のところへ来てみますと、米だわらや酒だ
るがっんであります。そこで、それらを馬の背にのせ、そのかわり、そばに
古いかっぱ(木の株)がありますので、その上に代金の二分金や一夫(し
ゆ)銀をならべて、
「どりゃ、かえるべえ」
と、馬を追って、また三平峠を越えて村へかえってくるのでした。
それからまた次の日も、村の人たちは、荷を受取りにゆきます。
ちょうどイチイの木の下で、ひのえまたの人に出あいますと、
「やあやあ」
とばかり、りようほうの村人は、腰(こし)をおろして、いっぷくつけ、
しぱらくよもやまの話などしてわかれますが、そうでなければ、やはりつん
である荷を馬につけ、代金をかっばの上においてかえってくるのでした。
こんなことが何目も何目も、秋のすえになって、雪がくるまでつづきまし
た。しかし一ぺんも荷がなくなったり、お金がなくなったりして、苦情(く
じょう)の出るようなことは、まったくなかったといいます。
そのうちに、りょうほうの村びとがそうだんして、沼のほとりに、ちいさ
な小屋を建て、そこを荷の仲継所(なかっぎじょ)としました。
そして小屋には、米やみそ、なべ、かま、さら、ちゃわんなどをそなえ
て、おくようにしました。どちらの村びとも、その米、みそでひるめしをす
ませますと、その代金の鳥目(ちょうもく、穴あき銭)をおいてゆきます。
また、ときどき、米やみそをもって来て、いつもなくならないようにした
ものだといいます。
なんでもそのイチイの木のあったところに、いま石のお宮があるそうです
から、尾瀬沼ヘハィキングにゆく人は、気をつげてさがしてごらんなさい。
(土出、新井、ほしのよしみさんの話)
龍宮のいわれ
尾瀬が原に、竜宮(りゅうぐう)というところがあります。その地名をと
って、竜宮小屋と呼ぶ山小屋があることは、知っていますね。では、その竜
宮のいわれを、お話しましょう。
尾瀬が原に、川越岩または川籠岩(かわごいわ)と呼ばれるところがあり
ます。それも知らない。弱りましたね、まあともかく竜宮小屋のある近くで
す。、
その川越岩の西方二〇〇メートルぐらいのところに、竜宮はあるのです・
ここを流れている沢の水が、このところで、急にうずまきとなり、一つの穴
の中へ吸いこまれて、沢がなくなってしまいます。その水がすこししもでま
たわいて来て、沢になったかと思うと、また穴の中にきえてなくなるので
す。大雨で、たいへんな川となっても、この穴ヘどんどんながれこんでしま
い、どうしても一はいになるということがありません。これはきっと、この
穴が竜宮まで通じているにちがいない、というので、この名が出来たといい
ます。
むかし、この近くに、尾瀬氏という殿様が住んでいました。
おおぜいのお客があって、膳(ぜん)椀(わん)のたりないときは、「あ
すの朝、ぜんわん何人前」と書いた紙を、このうずまきの中へ入れますと、
よくあさ、ちゃんと、たのんだだげのぜんわんが、沢のほとりにならべてあ
った、といいます。
そのかわり用がすんだら、もとのところへそろえてかえさなげれぼなりま
せん。
ところがある時、殿様のうちの召使(めしつかい)が、椀が一つたりない
ま上、一つぐらい、どうでもよかろうと、かえしましたら、それっきり、そ
の後はいくらたのんでも、ぜんわんは出てこなかったそうです。
その椀かどうか知りませんが、三、四年前のこと、うずまきの近くで、水
路工事が行われましたが、むかしつかったらしい椀が一つ、出て来ました・
このような話はよその村にもよくあります。
尾瀬の狐
こんどは今の話です。今といっても、昭和三十四年六月のことです。檜枝
岐(ひのえまた)小屋の岩さんといえば、鉄砲打ちの名人で、岩魚(いわ
な)つりも上手(じょうず)でした。
ある日、近くの川へ、いわなっりにゆき、日がくれて来ましたので、えも
のをさげてかえることにしました。
途中(とちゅう)に心やすい家があったので、ちょっとよりますと、一ぱ
いごちそうになりました。
いいきげんになって、いとまごいをし、その家を出ますと林があります・
林の中の道をあるいていますと、ゆく手に、こうこうとかがやく満月が出て
いて、とてもあかるいのでした。
酔(よ)ってはいましたが、岩さんは、バテと考えました。
(今夜はまだ、みか月のはずだがなあ)
とふしぎに思っていると林の中から、
「おじい、月が出てよかっべえ」
と、いう声がしました。
「なにいってやがる、コンコンさまのいたずらだろう」
とやりかえしますと月はきえて、それっきり声はしなくなりました・
(山男が狐にぼかされりやいい笑いものだ)そう岩さんは思いましたが、さ
すがの岩さんも、すこし気味(きみ)がわるくなりましたので、わが家まで
一本道で、なれてはいましたが、ポケットからマッチを取り出して、一本一
本すっては火をつけて、かえりましたとさ。
さて、えものの岩魚のことは、どうしたか聞きもらしました。
◎岩さんとは尾瀬いさの爺さんのことです。